池袋が繁華街になるまでの歴史とは?


昔は、袋の形をした大きな池があったくらいの特徴しかなく、非常にのどかな場所でした。
そんな池袋も、鉄道が開通したことがきっかけとなり、繁華街に成長していきます。
今までの歴史についてご紹介します!

池袋の昔

池袋といえば新宿、渋谷と並ぶ山手線エリア西側屈指の繁華街として知られています。
サンシャイン60をはじめ、西武、東武の両デパート、電気量販店などがひしめき、大変な賑わいをみせているのは周知の通りです。
駅の利用客は一日に約270万人で、これは新宿駅に次いで日本に二番目の多さで、まさに大都会の街と言えるでしょう。
そんな池袋ですが、しかし昔はただの田舎でした。
古くから発展していた渋谷や新宿と違い、現代に入っても田畑が広がっていた小さな村だったといっても信じられないかもしれませんが、
実際にそういうところだったのです。
何しろ名前の由来からして、袋の形をした大きな池があったというくらい長閑な場所でした。
池は現在のホテルメトロポリタン周辺にあったといい、現在では完全に埋め立てられてしまいましたが、
戦国時代にはすでにこの名前で呼ばれていたことが文献で分かっています。
近代に入ると、街は巣鴨村の一部になります。
20世紀の初めのことです。
この時代でもまだ田畑が広がる農村で、とても現在の姿からは想像できません。

池袋に駅が出来るまで

発展のきっかけとなったのが鉄道の開通です。
もっとも現在の山手線、埼京線の路線になっている品川-赤羽の路線に池袋駅はありませんでした。
未だ農村であった地には需要がなかったのでしょう。
その後、田端への支線を延ばすために分岐駅として設置されるに至りますが、この時の第一候補は目白でした。
しかし地形の問題で目白を断念し、池袋に駅を建設することになったのです。
もしそのまま目白を分岐駅としていれば、今日の発展は目白のものだったかもしれません。
とはいっても相変わらず田畑が駅を囲んでいる状況に変わりはありませんでした。
その後、現在の西武線、東武線が乗り入れ街は少しずつ大きくなっていきます。
しかしこれにしても当初は神田や巣鴨を起点にすべく、中間駅として造られたに過ぎませんでした。
にもかかわらず、そのまま起点駅となったのは諸事情により都心への延長を断念したからで、
偶然が重なってターミナル駅として確立されたということが言えるかもしれません。

商業施設や学校が取り揃う街へ

複数の鉄道路線が乗り入れ、起点駅としても活躍するようになったことで、ようやく今日に続く繁栄の足かがりを作ることになります。
やがて西武、東武のデパートが相次いで誕生し、繁華街として大きく発展しました。
その間には師範学校や立教大学が設立され、文教の街としても知られるようになります。
そして巣鴨拘置所跡に建設されたサンシャイン60はこの街のにぎわいを決定付けたといっても過言ではありません。
このように農村に過ぎなかった村が鉄道とともに大きな発展を遂げた、それが池袋の知られざる歴史です。